『主われを愛すはクリスマスカロル‼? 』 赤江弘之牧師 2024.12.22発行

 クリスマスカロルと言えば、「きよしこの夜」「諸人こぞりて」「ジングルベル」などです。そこに「主われを愛す」が同じ部類に入るのでしょうか。この讃美歌は世界中で最も慕われています。喜びにつけ、悲しみにつけ賛美します。さて、クリスマスにふさわしい聖句と言えば、ピリピ2章6~8節でしょう。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」「主われを愛す」の賛美は、このみことばを歌詞にしています。ですから、クリスマスカロルと言っていいのです。この讃美歌は19世紀半ばのニューヨークで、女流作家アンナ・ バートレット・ウォーナーが、姉のスーザンの執筆した小説の中に、妹アンナが作詞しました。その小説の中で、間もなく天に召されようとしている子どもが歌う挿入歌として書かれたものです。この歌詞のもう一つの根拠は、ヨハネの手紙第一4章9節です。

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」讃美歌「主我を愛す」は日本の童謡「シャボン玉とんだ」の原曲になりました。その「シャボン玉」の歌詞は野口雨情の作です。雨情はペンネ―ムですが、岡山城の別名烏城が元の雅号でした。烏城の背景には、彼が人生の目標とした良寛禅師の様に生きたいという思いが込められているようです。良寛は岡山の玉島に居住していました。良寛の作品に、わが娘の将来を案じて謡った句があります。 かすみ立つ 長き春日に 子供らと  手まりつきつつ この日くらしつ 良寛は岡山から故郷越後に帰り、その貧しさの故に、明日子どもを手放さずにおれないので、子どもに何もしてやれない自分を嘆きつつ、心の中で泣きながら、わが子の将来に幸あれと祈りつつ手まりをつく、最後の日にこの句を詠みました。一方、雨情の「シャボン玉」の歌詞は、シャボン玉が飛んでいく様子を通じて、人生の美しさと儚さと悲しさを象徴的に表現しています。雨情は,「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた」というフレーズを使い、生まれてすぐに亡くなった子どもたちへの鎮魂歌としているのでしょう。ちなみに、野口雨情は八歳の長女と二歳の四女をなくしています。このあたりの背景に,「主我を愛す」との共通の情感が読み取 れます。「主われを愛す」の作詞者ウォーナー女子も、死にゆく子への励ましのために作ったのですから。

 「シャボン玉」の作曲は有名な中山晋平です。この二つの曲は、賛美歌を底流とする大正童謡運動の盛んな時期につくられました。「主われを愛す」の生まれ変わりであると言 えるくらい類似しています。中山晋平は、書生時代に英語学校に通っていたのですが、そこで宣教師から「ジーザス ラブズ ミー」を英語讃美歌を習ったことは十分考えられます。

 昭和11年「シャボン玉」の2節が雨情によって追加されました。

  シャボン玉、 飛んだ。 屋根より高く。 ふうわり ふわり、 つづいて飛んだ。

  シャボン玉、 いいな。お空に上がる。あがって 行って、帰って来ない。ふうわり ふわり、シャボン玉、飛んだ。

「帰って来ない」シャボン玉、どこに行ったのかなあ------------きっとどこかにいるんだよ、と思わせるような歌詞です。「主われを愛す」は、その答えを2節と3節で歌っています。さすがに福音です。罪あるものの罪を赦すために来てくださった、イエス・キリストの天国に招く良きおとずれのクリスマスカロルです。

2.わが罪のため 栄えを捨てて、天よりくだり 十字架につけり。

3.みくにの門を ひらきてわれを 招きたまえり いさみて昇らん わが主イェス、わが主イェス、わが主イェス、われを愛す。

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  『ハロウィンの日』 西村敬憲牧師 2024.11.03発行

 10月31日は、ハロウィンでした。都会の方では、たくさんの人たちが騒ぐことで、話題になってきました。西大寺にいるとそういうこともなく、公園でバイキンマンみたいな衣装を着せて小さな子どもたちの写真を撮っているお母さんがいるくらいです。

 もともとは、ヨーロッパの原住民の間で行われていたお盆のようなものですが、死んだ人が帰って来るのにまぎれて、悪女みたいな気持ちの悪いものもいっしょにやって来るというのが、静かな日本のお盆とは違うところです。どちらかというと、ついでにやって来た悪魔の仲間と言われているものが主役になって来ました。 私は、小学生のころ東京の府中市に住んでいましたが、すぐそばに広大な駐留米軍の家族が住む「関東村」と呼ぶ広大な町がありました。柵の向こうには白い家が並んでいるアメリカの風景でした。もちろん普段は入ることができないのですが、10月の終わりに山田さんという英語のできるおじさんがその別世界の町に連れて行ってくれました。夕方の薄暗い中、白いドアの前に立ってノックをすると映画に出て来るような金髪の女の人がにこやかに山田さんと話してその隣にいた小さな日本人の子どもを見て、手に持っている紙袋に一つかみのお菓子を入れてくれました。それを数軒繰り返して、山田さんは自宅に送ってくれました。なんだか不思議な日でした。それがハロウィンだと知ったのは、ずいぶん後のことです。「トリックオアトリート」どころか「サンキュー」も言えませんでした。

 日本では、魔女の格好をして歩いたり、パーティーをしたり、インスタにあげる日としてこれからも続けられるでしょう。でも魔女もゾンビもジャックオーランタンもみんなお話に出て来るものばかりです。普通のコスプレは、憧れているものになってみるわけですが、ハロウィンのコスプレは異様なものが多いです。メイクには生なましい傷や血が描かれていて、こうなりたいというものとは恐らく正反対の姿です。怖いものになりたいだけなら、日本産の鬼太郎とか目玉おやじでもいいのですが、やはり外国のものが人気なのは、背後に親玉として悪魔という漠然としたものがあるからだと思うのです。悪魔というのは、日本の文化にはないものですが、断片的なことをつなぎ合わせてつくられたイメージがあります。 聖書にはイエスの前だけに姿をあらわすものとして登場しています。そこでは、四十日四十夜断食をして祈ったイエスに近づいて、その空腹に対し「あなたが神なら石をパンに変えてみよ」とささやいたり、高い所から全世界を見せて「私にひれ伏すならこの世界のすべてをおまえに与えよう」などと誘ったのです。しかしイエスが全く動じないので悪魔はしばらくイエスから離れます。そこで垣間見えるように、悪魔の実態はひそかに人に欲しいものを与えて、その欲望に埋もれさせて自分自身を滅ぼすように導くものです。ここがろくろ首や傘小僧のような日本のお化けと違うのです。彼らにはそんな悪意はありません。

 しかし決して姿をあらわさない悪魔を人のほうからコスプレによって一体化しようとするほど親しみを覚えるのは、欲望をかなえるものだと信じられているからでしょう。ハロウィンの日の混乱は、人は欲望のままに動いていいとささやかれて、普段はしないことをやってしまうことから始まっているのかもしれません。お酒のせいだけではないのです。あの暴力やゴミの山は、一晩を欺かれた人たちのみじめな姿でもあると思います。

 この悪魔のわなから人を救い出すためにこの世界に来たのがイエス・キリストです。そしてまた世界はハロウィンをあとにして、すぐににぎやかなクリスマスシーズンを迎えます。その中心にある赤ちゃんに目を留めるときになったらいいですね。

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  『霊的世代の育成を目指しつつ 』 赤江弘之牧師 2024.09.29発行

 この夏、わたしたち二人住まいの老夫婦の家に、娘と孫娘の三人が訪ねて来てくれました。台風10号接近の余波を受けて、新幹線計画運休で急遽高速夜行バスに変更して来ました。 4、5日の滞在はうれしい時でした。娘の主人、佐野泰道牧師の配慮と手配によってできたそうです。次の週、東京の長男が、学会のセミナー出席を兼ねて岡山に帰省しました。わずか2、3日のことで、それも我が家には宿泊だけの帰省でした。娘たちも長男も帰省中私たち老人ができないことを見つけて手助けしてくれました。以上は、「我が家の三世代の今!」についてでした。感謝なことに、年老いた私たちを気遣ってくれたのです。

 ところで今回の話題は、西大寺教会の霊的世代のことです。聖書は、アブラハム世代・イサク世代・ヤコブ世代という父祖の時代がありました。仮のたとえですが、西大寺のアブラハム世代は佐藤邦之助先生の時代でしょうか。するとイサク世代は鈴木一郎先生です。其の指導の下にあった武田克人先生、北尾欣三先生、小山潔隆先生たちの併せて約10年間はヤコブ世代でしょうか。そうだとすれば、私・50年猶予の赤江の牧師時代はエジプトと出エジプトから荒野の旅の時代と言えるかもしれません。その旅の約半分と、約束の地カナン入国の長きにわたる西村敬憲牧師との共同牧会時代が現在でしょうか。そして数年前に主任牧師を交代しました。

 しかし、それに加えて確かなことはいつの時代にもその時代のリーダーたちがいました。教職・信徒リーダーの群像が男女を問わず存在し、それぞれの時代のトップリーダーと共に、力を合わせて主の群れを導いてきました。教会役員会時代の働き、各会幹事の働きからやがて長老・執事・各会幹事とそれぞれの時代の全ての信徒たちの協力一致があったのです。 私たちの教会の霊的世代の育成が実ってきたのは、主の祝福の約束が実現してきた証です。  

今回、1月の教会総会で可決された建議案に基づいて、まず執事の選挙が行われようとしています。理由は、信徒の執事経験者を増やすことにより、宣教、教育、奉仕など、教会の使命を果たすために必要な部分を強くし、より主のみこころにかなった教会となるためです。10年以上、執事職を務められた方々のヨベルの休息の時にもなります。  主の教会は、世代を超えて信仰が継承されていくことが難しいのです。キリストの救いにあずかった私たちは、自分が救われて良しとするだけではなく、信仰が受け継がれていくことに心を配らなければいけません。それは肉の家族に対しても、霊の家族に対しても必要なことです。

 イエス・キリストの異邦人への使徒パウロは、テモテを「信仰による、真のわが子テモテ」(Ⅰテモテ1:2)と呼んでいます。そして彼にこのように勧めています。 「ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。」  パウロは、テモテが「次の世代を育てるように」と励ましています。パウロにとっての霊的第三世代に当たります。パウロはここで三つのことをテモテに伝えています。 1.恵みによって強くなりなさい-------私たちの霊の目が開かれると、神の恵みに目が留まるようになります。次世代を育てるとき、様々な意味で自分自身が問われ、扱われます。神の恵みによって強くされる必要が起こります。 2.教える力のある信頼できる人たち------信頼できる人、自分が信じるだけでなく人にも伝えることのできる人を神は備えてくださっています。その人たちが誰なのかを見極めるのです。 3.私から聞いたことを委ねなさい------その人たちにパウロから聞いた福音を委ねていきなさい。主への信頼に基づく、大胆な決断です。責任を取る覚悟が求められます。

 今、私たちの教会はコイノニアグループ活動を、再構築していこうと取り組んでいます。これはまさにみことばに基づく霊的世代育成に取り組む働きです。アブラハムに約束された神の祝福が、日本においても豊かに受け継がれ、広がっていくように、この西大寺の地で、ビジョンの実現を信じて取り組んでいきましょう。

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  『あのチョコレート』 西村敬憲牧師 2024.08.04発行

 どこの店に行っても目に付くチョコレートは、明治かロッテになるでしょう。国内シェアを圧倒するこの二つは会社も大きいです。明治だと売上高で9000億円、ロッテは2000億円にもなります。ところが、どういう調べ方かわかりませんが、「チョコレート市場売上個数」の一位は、有楽製菓という年間売上高が154億円の会社が出している「ブラックサンダー」です。それなら知っているという人は多いと思います。大手の定番、ガーナとかコアラ、たけのこ、きのこなどに負けないくらい人気だそうです。

この「ブラックサンダー」が発売されて30年になる今年の夏、九州限定のパッケージ「アリガトサンダー」が福岡の天神地下街で配布されました。さらにその日には、九州の7つの地方紙にフルカラーの感謝広告が出ました。「九州のみなさん、あのとき助けていただいたブラックサンダーです。」というコピーの下にデコボコのあのお菓子が大きく写っている全面広告です。

有楽製菓は、東京の小平市にあるかつては駄菓子メーカーでしたが、これまでの「チョコナッツスリー」に食べ応えのある食感をもった新しい駄菓子として「ブラックサンダー」を誕生させました。ところが、原材料にこだわったことで30円という高価な駄菓子になってしまい売れずに、わずか一年で生産終了に追い込まれました。

ところが、九州の営業担当者が、お客様にしている業者が熱望していると専務に直談判を繰り返して、やっと残っている袋の分だけということで製造を再開しました。それから、いろいろなところで広がり、内村航平さんが北京オリンピックにまで持って行くほどのサンダー好きを公言して、ついに不動の人気を得ていきました。昨年末までに累計17億本が売れています。

ということで、30周年の今があるのも、あの九州の人たちの熱意のおかげだというわけです。さらにもう一つのプロジェクトもあって、「ブラックサンダー恩人探し企画」。7月いっぱい情報を募集しているとのことで、発表も楽しみです。

実はこの会社は、6年前からガーナなどで原料のカカオの収穫から出荷までに児童労働が深く関わっていることを知り、日本ではまだ関心の低かったこの問題への取り組みを始めました。さまざまな課題を乗り越えて、現在は児童労働撤廃の取り組みをしている企業による「スマイルカカオ」を100%使用するようになっています。このような経営の姿勢はあの「感謝」を届けようとする思いにもつながっているのでしょう。 さて、イエスがある村で10人の重たい病気の人に迎えられました(ルカの福音書17章11~19節)。ツァラアトと呼ばれるこの病気にかかると伝染を恐れられ、治ることはないとされて区切られた場所でしか生活が許されていませんでした。彼らはイエスに遠くから「あわれんでください」と訴えると、イエスはすぐにその病を調べる祭司のところへ行くように言われました。彼らがその言葉通りに出ていくと、途中で完全にいやされたのです。すると一人だけが一目散に戻ってきてイエスの足元にひれ伏して感謝を表しました。イエスは彼を喜びながら、他の9人が引き返してこなかったことを嘆きました。

感謝とは、相手への敬意や信頼から生まれるものです。そしてそれはそこからのその人の歩みに広がりと豊かさを加えていくことになります。この病気が治った人はイエスへの深い信頼をもって、この後の人生の課題を乗り越えていくことになったのでしょう。感謝をしない人というのは、自分の力を過信しているために世界が小さくなっていく人だと思います。礼儀のない態度や暴言なども自分だけしか見えていないことを表しています。感謝をすることは、その思いやりから世界を変えていく勇気を生むことになります。イエスは彼にこう言われました。「立ち上がって行きなさい」。私たちは感謝から次の一歩が見えて来るのではないでしょうか。

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  『イエスへの家族批判とその救い』 赤江弘之牧師 2024.06.30発行

 12弟子が選ばれた後、イエス一行が戻った家はカぺナウムのシモン・ペテロの家であった。前に、ペテロの姑と中風の男が癒され他場所である。当然のように群集が押し寄せてきたので、一同は食事をする暇もなかった。イエスは、この家を拠点にしてガリラヤ地方の各地で伝道していた(マルコ3:20)。  

「身内の者はイエスを連れ戻」そうとした。(21)
 人々が「イエスは気が変になっている」と言っていたからである。家族もそのように思ったのである。三〇歳になるまで一緒に生活した家族は、一番よくイエスを知っていた。まじめな働き者の大工で、母や弟妹の面倒をよく見ていたことであろう。町でも立派な青年だと評判であった。あんなに家族を大切にして、責任を持っていたイエスが、突然家を捨て、家族を捨てて、ユダヤの国を放浪したのである。その家族が、今やイエスを狂人とみたのは、イエスの生活の突然の変化を見たからで無理のないことであった。突然の職業放棄、家族放棄は、それまでのイエスには考えられないことであった。 家族から見ると、神の国の宣教だと言って昔から行きわたっているユダヤ教を批判し、律法学者と衝突し、迷信じみたことを教え、しかも自分があたかもメシアであるかのようなことを言いふらしている。これは神を冒涜することであり、ユダヤ教社会では許されぬことであった。国民の誇りとしているユダヤ教信仰に反する生活を見過ごしにはできない。それに反して汚れたツァーラートの病人や、憎むべき取税人の友となることなど、まじめなユダヤ教徒のやるべきことではないという理由であった。さらに、イエスの奇蹟は魔術とみられ、普通の人間にはできない魔術を行って、人を惑わそうとしているというユダヤ教の教師ラビたちの教えに影響されていたのである。それがユダヤ人社会の一般常識であった。  

イエスの家族の救い
イエスのことを最もよく知っているはずの家族が、イエスを狂っていると思い、連れ戻そうとしたのは皮肉なことであった。イエスの神の子としての活動は、人間の世界を超えた神の国に属することであったので、人間的なイエスの側面を最もよく知っている家族が、最もイエスのことを知らなかったのは、当然のことであった。 イエスが後に、「家族の中に平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た」といわれたのは、ご自身が経験されたことであった。それはマタイの福音書10:34~39にある。わたしが、イエスの福音のために会社を辞めて神学校に行くことを伝えた時、父母をはじめ、家族・親族全員が激しく反対した時の状況が昨日のことのように思い出される。 信仰によることは、しばしば人間的な知識や学問や常識に反することに見られることがある。イエスの家族は、イエスを愛するゆえに連れ戻そうとしたのである。イエスは、その愛を知っていて、ご自身の十字架の使命に突き進まれたのであった。

 イエスは、母マリヤの老後を弟子のヨハネに託し、弟ヤコブはイエスの死後、イエスをメシアと信じるようになった。それはおそらく復活のイエスに接してからであろう。第一コリント15章7節でパウロは、ヤコブへの顕現を語っており、それがヤコブの回心の動機であったと思われる。「その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。」その後ヤコブはエルサレム教会の指導者となり、パウロが回心して後エルサレム教会に行ったとき、ヤコブはペテロと共に教会の柱であった(ガラテヤ1:17~19、2:9)。

 イエスの男兄弟四番目のユダは、新約聖書黙示録の前の「ユダの手紙」の著者である。ユダは自分のことを「イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから」と書き出している。 彼も復活前のイエスを信じていなかったが、復活後は弟子の内に数えられるようになった(使徒1:14)。イエスの家族はすべてクリスチャンになっていたのである。そして、西大寺の群れも家族の救いによって成長してきた。あなたの家族の救いも信じて祈りましょう。

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  『次の目標』 西村敬憲牧師 2024.05.26発行

 夜のスポーツニュースを見ていたら、ポルトガルから帰国したカズこと三浦知良(かずよし)氏が映っていました。ポルトガルの2部リーグ、オリベイレンセで2シーズンを終えて5月21日に羽田空港に着いて取材に答えていたのです。帰国前には、クラブを通して「ゴールも、出場機会もほとんどないまま終わってしまい、悔しさの方が多かった」とコメントをしていた通り、「起きてから寝るまで、サッカーだけを考えて過ごした。その意味では良かったが、プロとしては試合に出て結果が出ない限りは、いい結果とは言えない」と自分に対して厳しい言葉で語っていました。 しかし同時に、朝10時から始まる練習では「ミウラ、走れ! もっと速く走れ!」と若手と同じ過酷なトレーニングを続けても、「とにかく必死になって自分の100%を出して、自信を掴んだり、期待したり、そういう日々が楽しくて、幸せだったなと。」笑顔で振り返っていました。 カズは次のシーズンでプロ40年目になりますが、国内での現役続行を決めているようです。この人の生き方を応援するひとりにトシこと田原俊彦さんがいます。「アイツも分かっているけど、日本のサッカーJ1ではもう、活躍できないわけじゃないですか。僕と同じですよ。ただ、サッカーボールを蹴ることがカズの人生なんですよ。僕が頑張ってステージ上でマイクを持つのと同じです」。

 今年の2月の誕生日にはお互いにラインでこんなやり取り。

 「ハッピーバースデー、57歳。まだまだ若いな。オレは63だって。腰が痛いはずやん。いい年になることを念じています」と。すると5分後に「ありがとうございます。ここからが勝負ですね。頑張ります」。トシさんは「『ここからが勝負』とは、スゴい」って、「将来、何になるんだろう、いつまでやるんだろうと思ってます。本当に謎」とお互いの生き方に通じるものがあるのでしょう。

 イエスの愛を地中海のギリシア世界からヨーロッパまで伝えたパウロは、その3回目の伝道旅行の終わりにエルサレム教会に戻ることを決めましたが、その時にこう語りました。「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と(使徒の働き19章21節)。実はこれまでに数え切れない妨害や迫害にさらされ、投獄やむち打ち、さらに仮死状態になったこともあったのです。もう十分ではないかと思うのですが、彼はさらにローマ帝国の中心、すべての道が向かう帝都ローマでイエスの愛を語ろうとしているのです。世界を目指して、まさに「ここからが勝負」という言葉がぴったりです。強い人だと思うかも知れませんが、自分の弱さに悩んでいたことを告白しています。そして、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」とイエスの愛によって力が与えられていることを語っています。

 その強さというものを言いかえるなら、幸せだということだと思います。パウロは、やめたければいつでもやめてよかったのです。彼の教養があればいくらでも必要とされる場所はあったはずです。でもどんな苦難があっても挑戦し続けようとしたのは、そこに幸せを見出していたからだと思います。だから彼の書いた手紙には、「喜び」という言葉が数え切れないほどあるのです。 キング・カズもこれからのことを聞かれてこう言っています。「自分がどこで、どういうプレーをしてサッカーをやりながら幸せを感じるかが大切だ。」こんな幸せを持つことができる人は多くはないかもしれません。でもパウロの幸せは、私たちにも招かれていると思います。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)。

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  『わたしは世の光です』 赤江弘之牧師 2024.04.28発行

 イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

闇の中を歩む者 
 闇とは何か。地震によって停電したら真っ暗闇です。しかしここでは、神についての無知の闇のことです。神がわからなければ、人間は自分がどこからきてどこへ行くのかわからないのです。同じヨハネの12章35節に「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません」とあるからです。私たち人間が人間として生きていく上に必要な霊的光のことで、墓のかなたまでを照らし出す光のことです。どんな人でも、主イエス・キリストのもとに来るまでは、霊的に死んでいるのです。ヨハネの福音書は、1章で、イエスという方が「ことば」である永遠の神であり、創造主であり、闇に打ち勝つ光であったと書き始めています。

世の光とは何か
世の光は「いのちの根源からくる光」であり、「いのちを与える光」とも、理解されることばです。先に、霊的光のことを言いましたが、具体的な太陽光線のことをお話しします。誰もが知っている光のありがたさに気が付かないと、目に見えない霊的な恵みについて見落としてしまうからです。8章13節に、パリサイ人がイエスを信じない理由を伝えています。「あなたは自分で自分のことを証ししています。だから、あなたの証しは真実ではありません」と。これに対するイエスの答えは明快です。「あなたがたは、わたしがどこから来て、どこへ行くのかを知りません」(14節)。この意味は、「あなたがたは、わたしが神から来たということを知らないのだから、わたしが超自然的な神であるということも知らないのだ」ということです。主イエスは、自然界を創り支配しておられるのだから、超自然の世界も、心の闇の世界も支配しておられることを知ってほしいのです。

太陽光は癒しの効果を表します。具体的に、有名な太陽光線療法があります。カーボンアーク灯治療器が我が家にもあります。また、太陽光線は紫外線、可視光線、赤外線3つがあります。人類は太陽の恵みとも言われる日光を享受して生きています。太陽光なくして生命は存在できません。

最近はソーラーパネルを利用して発電して、飛球温暖化防止に貢献しています。それに何よりも、太陽は炭酸同化作用によって、生物が炭酸ガスを吸収して酸素を大気中に吐き出します。この作用なくして,人間は地球上に存在できないのです。皆様方は、どれだけ太陽の存在に感謝しておられますか。どこかで、自然の恵みであって、有難さを感じていないのではありませんか。太陽は、偶然に存在しているのではありません。私たち人間はなぜ意味を考えるのでしょうか。すべてのことに意味はないという無神論や、不可知論という思想も意味を求める知的作業の証明です。すべてが偶然に存在するという哲学も、太陽の存在理由を説明していません。創造主であられる神様は、人間を愛してすべてのものを造られたというのが、聖書の与える存在の意味です。「人間は考える葦である」と言った科学者で哲学者パスカルは、神の存在を信じる方に賭けると言いました。

「わたしに従う者」とは
それはイエスを救い主と信じることです。従うことは、行いを求めることばではありません。ヨハネの福音書の14章9節では、「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか」と言われました。同じ11節に「わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい」とあります。つまり、主イエスに従うとは、聖書で言われているように、イエスを救い主と信じることです。それ以外に私たちの救いはありません。イエス様をご一緒に信じて、闇に打ち勝って天国に行く備えをして、世界の光の一つに加えて戴きましょう。信じる人は、「あなた方は世界の光です」と約束されています。

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