『主われを愛すはクリスマスカロル‼? 』 赤江弘之牧師 2024.12.22発行
クリスマスカロルと言えば、「きよしこの夜」「諸人こぞりて」「ジングルベル」などです。そこに「主われを愛す」が同じ部類に入るのでしょうか。この讃美歌は世界中で最も慕われています。喜びにつけ、悲しみにつけ賛美します。さて、クリスマスにふさわしい聖句と言えば、ピリピ2章6~8節でしょう。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」「主われを愛す」の賛美は、このみことばを歌詞にしています。ですから、クリスマスカロルと言っていいのです。この讃美歌は19世紀半ばのニューヨークで、女流作家アンナ・ バートレット・ウォーナーが、姉のスーザンの執筆した小説の中に、妹アンナが作詞しました。その小説の中で、間もなく天に召されようとしている子どもが歌う挿入歌として書かれたものです。この歌詞のもう一つの根拠は、ヨハネの手紙第一4章9節です。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」讃美歌「主我を愛す」は日本の童謡「シャボン玉とんだ」の原曲になりました。その「シャボン玉」の歌詞は野口雨情の作です。雨情はペンネ―ムですが、岡山城の別名烏城が元の雅号でした。烏城の背景には、彼が人生の目標とした良寛禅師の様に生きたいという思いが込められているようです。良寛は岡山の玉島に居住していました。良寛の作品に、わが娘の将来を案じて謡った句があります。 かすみ立つ 長き春日に 子供らと 手まりつきつつ この日くらしつ 良寛は岡山から故郷越後に帰り、その貧しさの故に、明日子どもを手放さずにおれないので、子どもに何もしてやれない自分を嘆きつつ、心の中で泣きながら、わが子の将来に幸あれと祈りつつ手まりをつく、最後の日にこの句を詠みました。一方、雨情の「シャボン玉」の歌詞は、シャボン玉が飛んでいく様子を通じて、人生の美しさと儚さと悲しさを象徴的に表現しています。雨情は,「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた」というフレーズを使い、生まれてすぐに亡くなった子どもたちへの鎮魂歌としているのでしょう。ちなみに、野口雨情は八歳の長女と二歳の四女をなくしています。このあたりの背景に,「主我を愛す」との共通の情感が読み取 れます。「主われを愛す」の作詞者ウォーナー女子も、死にゆく子への励ましのために作ったのですから。
「シャボン玉」の作曲は有名な中山晋平です。この二つの曲は、賛美歌を底流とする大正童謡運動の盛んな時期につくられました。「主われを愛す」の生まれ変わりであると言 えるくらい類似しています。中山晋平は、書生時代に英語学校に通っていたのですが、そこで宣教師から「ジーザス ラブズ ミー」を英語讃美歌を習ったことは十分考えられます。
昭和11年「シャボン玉」の2節が雨情によって追加されました。
シャボン玉、 飛んだ。 屋根より高く。 ふうわり ふわり、 つづいて飛んだ。
シャボン玉、 いいな。お空に上がる。あがって 行って、帰って来ない。ふうわり ふわり、シャボン玉、飛んだ。
「帰って来ない」シャボン玉、どこに行ったのかなあ------------きっとどこかにいるんだよ、と思わせるような歌詞です。「主われを愛す」は、その答えを2節と3節で歌っています。さすがに福音です。罪あるものの罪を赦すために来てくださった、イエス・キリストの天国に招く良きおとずれのクリスマスカロルです。
2.わが罪のため 栄えを捨てて、天よりくだり 十字架につけり。
3.みくにの門を ひらきてわれを 招きたまえり いさみて昇らん わが主イェス、わが主イェス、わが主イェス、われを愛す。
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